2012年7月29日日曜日

8月のR公会堂

2012.8/18(土曜) R公会堂
「週末の音楽 vol.6」
出演: 田村幸司(SpeedRider)、ルイ・リロイ田中(新世界横丁)
open16:30 start17:00
料金1500円

※田村幸司はご存知パワーポップトリオ、スピードライダーのギタリストでソロ活動は今まで皆無。しかし去年の加地等トリビュートライブでリチャードトンプソンばりの味のあるボーカルとアコースティックギターを聴かせてくれて以来ファンに。僕と同世代ということもありこれから応援したいなと思っています。

ルイ・リロイ田中はまだ若いながらデルタ地帯から聴こえそうな幽玄なるギターを聴かせてくれます。その姿はローレンマザケインコナーズを彷彿させてくれます。その背骨にあるのは確かにブルース、カントリー、フォーク、そして霊歌であります。

ご予約なしで入れますのでどうぞお気軽に来て下さい。店主のとても安くて優しい味の美味しいご飯と箕面地ビールもお待ちしています。

2012年7月28日土曜日

"むかし、大阪で加地等というフォークシンガーがいたんだ"

2012年6月、映画「加地等がいた」監督の堀内博志さんから連絡があった。7月に十三シアターセブンにて一週間上映するのでよければトーク&ライブを企画してはしいとのこと。去年、色々と連絡取り合ってもし地元の大阪で上映することがあれば何でも手伝いしますという旨を伝えたのだ。去年名古屋で上映された時僕は見に行ったが監督は病欠だったので会えなかった。それから大阪上映はいつになるか期待していたがとうとうその時がきたのだ。

準備期間はそんなにもなかった。それでもおそらく加地くんの交友関係であまり注目されにくい音楽家にも絶対にでてもらいたいという気持ちが強かった。

まずはビッグワイエットで全編EGを弾いているスピードライダーの田村幸司には是非出演してもらいたかった。とはいっても最終的に声を掛けたのは封切り一週間前を切っていたが。これはどういう形でしようか試行錯誤したという他ならないが。それでも田村くんは快く引き受けてくれ初日7日に出てくれたのだ。

田村幸司は「私のブルース」と「これで終わりにしたい」をリチャードトンプソンばりの渋い歌とギターで聴かせてくれた。
同じスピードライダーの上條さんによればこれで終わりにしたいは加地くん自身歌うのが辛いと言っていたそうで田村くんが歌うのを聴いてまるで加地くんが歌ってるように見えたとのこと。田村くんからいろいろとビッグワイエット制作裏話を聞いた。一発録音ではなく田村くんのEGは後から被せたそうだ。コンビニブルースはサブタレニアンホームシックブルース、お前はかわいいよは廃墟の街とボブディランが元ネタだ。

日付は一日飛んで7/9、この日は僕、加納良英、そして急遽来阪された堀内監督だった。

加納良英は「ニューモーニング」、僕は「楽しい日々もあったよね」を歌った。
加納良英は加地等がいた大阪芸大によく遊びに行っていてそこで何となく知り合ったのだという。それ程仲良くなかったのだがいつのまにか加地くんからよく電話がかかってくるようになった、それが何のきっかけか全く覚えてないそうだ。

僕は加地くんが円盤で一時間やりたいと言ったら田口さんに説教された話を披露した。監督や加納氏にもライブは一時間やりたいとよく言ってたらしく、30分やると言って一時間演奏したらええやんと彼によく言っていたことを思い出した。そしてそんなウソがつけない加地くん。

7/10、加地くんが "加地等"になる前、彼はユーゾーズとピーピングマニアという二つのバンドを組んでいた。
この日のゲストはそれらのバンドのメンバーだった(ユーゾーズは近年再結成している)吉田キョウベイと谷口雅史、個人的にはこの日のよもやま話と演奏は感慨深く、一番のクライマックスとなった。
加地等の意外な側面、ほぼ全作詞作曲を彼が担当したり、構成やアレンジなどもかなりきっちりと決めていたコンポーザーとしての一面を知ることが出来た。だから彼が一時期にしろ古着屋でかなり成功をおさめていたのもわかる気がする。

加地くんがユーゾーズの最初の再結成ライブ、ベイサイドジェニーでモニタースピーカーに足をかけすべらせて頭を強く打った話、真偽をお二人に伺った。
するとその話は本当でしかもキャスターが付いた可動式のモニターだったのでよけいに滑らせたのだという。この新しい事実は衝撃的だった。
僕自身加地くんからこの話を聞いてそれぐらいで救急車で運ばれるほどかなって思ったが確かに可動式だとよけいに滑り衝撃を受けてしまう。本人も言っていたが、この時の事故の後遺症で彼は心神がおかしくなる。僕らが知っている加地等の原型がこの時に生まれたのだろう(後日、偶然にもこの様子を目撃した人と酒席になり同じ話を聞いた)。

それからユーゾーズは君のスパゲティ、ユーゾーズ時代の二曲を披露、君のスパゲティはオリジナルの歌詞で歌った。全曲加地等作詞作曲だ。

彼ら二人の演奏はものすごい練習の積み重ねによるものだろう、とても安定感のあるしっかりしたものだった。その頃の加地くんは天才肌ではなく努力に努力を重ねて上手くなるタイプの音楽家だったことがなんとなく実感出来た。

トークで谷口氏から映画中に出てきた "おんなじこと" を聴いて涙ぐんだことを聞き僕も感動した。
男女のすれ違いを歌ったこの歌は二人で過ごした日々は本当に輝いていたが同時に苦しかったし別れて楽になれたという相反する二つの想いもある、しかし二人は同じことを繰り返し結局同じ夢を二人は見ていたのだろうと呟かれている。
これは男女関係だけではなく同じ夢を目指していた男同士にもあてはめることが出来るのだ。
君のスパゲティはモデルの女性がいる、加地くんが当時のグランジロックに毛嫌いしていた事、別れた女性はみんな加地くんのことを悪く言っていないなどいろんな話が聞けた。

7/13 最終日、トーク&ライブはクリトリックリス、丸尾丸子、タカダスマイルで加地くんとは直接関わりないのでトークでは特筆するものはなかったのだが演奏自体はかなり良かった。

タカダスマイルはオリオン座をカバー。
崩した感じのボーカルでオリオン座に照らされながらかつて愛した女性のことを考えている、彼女も同じオリオン座に照らされて生きているのだろうと歌われる。
なぜ僕がタカダスマイルに出演してもらったのかというと彼は映画を見て感動し、もし自分がカバーするのならオリオン座をしたいとTwitterで書いていたからだ。加地くんの歌が少しずつ広まっていくのはとても嬉しいし、技量も度胸もあるタカダスマイルに歌ってもらうのはとても良いことだ。

丸尾丸子は関西在住の女性アーティストで加地等を歌う人がいなかったので僕が依頼した。何度か加地くんと共演があり、下ネタだけではない彼の歌の良さに昔から気づいていたのは喜ばしい限り。
彼女はこれで終わりにしたいをアコーディオンと歌でカバー。僕も途中飛び入り参加した。加地くんの歌が讃美歌のように響き渡る。

最後はクリトリックリスによるチーズキムチチンポのカバー。
僕らが伴奏しスギム氏と一緒に絶叫絶唱した。
一部の人は映画の余韻に浸りたいのかこの時の様子を批判してたが、実際加地くんがこの歌を歌っていた時も乱痴気になってたもんだ。堀内監督は暗いだけで終わってほしくない、湿っぽくならないようにと希望があり僕もそのように思っていたのでスギム氏の人選となった。

これは映画と関係ないことだが、会場となった十三シアターセブンの総支配人である西村悠さんが公開初日の一日前に不慮の事故で亡くなられた。堀内監督や僕は映画やイベントなどの打ち合わせで何度かやりとりをしたがギリギリの段階でもこちらの要望を全て受け入れてくれて本当に感謝極まりない、おそらく映画公開も楽しみにしてくれたのだろう。是非見て欲しかった、御冥福を祈ります。それから一生懸命やってくれた十三シアターセブンのスタッフ皆さんにも感謝したい。

この一週間を振り返ってみて本当に忙しかった。僕自身夜勤仕事の前だったので肉体的疲労もピークに達した。それでも充実感はあったし、加地くんに少しでも役に立てたかなという気持ちにもなれた。だから加地くん、君から病気の告白を受けたのにそれから何も連絡出来ないでゴメンね。大阪で最後に一度でもライブをさせてあげたかったよ。

彼が亡くなってから一度だけ夢を見た。
それは居酒屋の座敷で僕が到着すると加地等は昔のように元気でニコニコしながらコップでビールを飲んでいた。
"森田くん、なんか俺の「楽しい日々があったよね」をカバーしてくれてるんやな、YouTubeで見たわ。ありがとな"としゃべる加地等。君もう死んどるやん!YouTube見れるんかいな?と心の中で突っ込みを入れておいた。
まあしばらくの間君とはお別れやな。それまでは眠っといて。


現在、加地等は大阪にいる。地元である寝屋川に加地等は、いる。
今、加地等は萱島にある本涌寺で眠っている。
付けられた戒名は "眞楽院 日等信士"。眞楽というのはおそらく真の音楽を追求したからだと。

それは彼の歌や僕たちの記憶とはまた別の、"むかし、大阪に加地等というフォークシンガーがいた" というたったひとつのあかしとなった。

2012年7月23日月曜日

"最後の一年間"

今月、とうとう大阪でも映画「加地等がいた ー僕の歌を聴いとくれー」のレイトショーが一週間公開された。

僕は去年、名古屋で映画を視聴させてもらった。その時に見た感想はやはり陰惨さや悲しみを感じた。それは多くの売れない音楽家が共通する何かを自分と重ね合わせてしまうからだと思うが二回目三回目見る度にそれとは違う印象を受けた。
それは加地くんの元来持っているユーモアさや楽しさ、大ボケな部分で、微かな未来への希望を感じるものだった。
映画の途中で加地くんが亡くなり堀内監督とケバブレコーズの岡氏が大阪の加地宅へ弔問に訪れる様子が導入される。このお二方には以前から加地くんが肝硬変を患っていることを伝えていたのか定かではないが(この二人と会うことが出来たがこの話をすることはなかった)やはり突然だったのは間違いはなくその部分がある意味ハイライトとなっている。

東京でワンマンコンサートをやった後完全に大阪に引きこもった加地等の亡くなるまでの一年と少しを僕が把握している限り記したい。

・2009年秋頃、大阪でスピードライダーのライブを見にくる(スピードライダー田村氏の証言)。
・2009年秋〜冬頃、加地等から連絡があり新しいアルバムが発売されるのでレコ発をからめたライブがしたいというのでほりゆうじとの2マンがいいのでは?と提案をした。かなり乗り気で彼は承諾した。
・会場は当時僕が拠点にしていたギャラリーチガーヌに決定、ほりゆうじも快く引き受けてくれた。ちなみに同じ場所でその年の12月に三沢洋紀ワンマンを決行。
・加地くんがアルコール依存症と人づてに聞いていたのでお店に酒があるのでどうしようかと思ったが僕が制御役になればいいだろうと考え日付も確定。記憶が定かではないがおそらく同じ年の12月半ばか翌年の成人の日。
・加地等に連絡。しかしいっこうに繋がらず。計画は中止。
・翌年の一月末、夜に突然加地等から電話がある。
〜ドクターストップがかかりこれ以上身体に負担がかかると命に関わる。ライブの件はほんとうに申し訳ない〜
とのこと。
僕の "もしかして肝硬変に罹ったの?"との問いに "そうだ"と答える加地くん。
僕はとりあえず安静するようにしか言えなかった。
今思い出したがその時の電話で翌月に東京でライブがあるがドクターストップがかかっているということも話していた。
・2010年2月、東京のネクストサンデーでライブ(結果的には最後のライブ)。
・それ以後加地くんから電話がかかってくることはなかった。Twitterなどで加地くん最近どうしているんだろう?と問いかけたらスピードライダーの上條さんに六月か九月に電話があったとのこと。少し安心する。
こちらから電話を、と思うが掛けても出ないことがほとんどだった。だからこちらが待つしかなかった。
・亡くなるまでは時々新聞配達をしていたようだ。亡くなった時ワインの瓶が転がっていたそうだがおそらくご両親には最後まで病気のことは伝えてなかったようだ。
・加地くんと親交のあった共通の友人二人に病気の事を伝える。ある人は驚きある人はあの若さでそれはないだろうと僕も半信半疑になった。
音沙汰がないので時々ネットで加地等の動向を調べる。もしかしたら僕が知らない間に亡くなっているのではないかと思い不謹慎だがいろんなキーワードで検索した。しかし何も出なかった。
・2011年1月半ば、ハードレインでスピードライダーのライブを見にいく。ちょっと前から計画していたジェニーオンザプラネットとスピードライダー、僕のバンドでハードレインでイベントする話を上條さんとする。そこでサプライズで加地等の出演はどうかと盛り上がる。肝硬変の件を聞いたが知らなかったらしくどうやら加地くんは全部の友人には言ってなかったようだ。
ある事情でイベント自体白紙になった。なので加地くんに連絡することはなかった。
・2011年2月2日 加地等死去。
・2011年3月6日?加地等死去がネットを通じて広まる。当初は3月に亡くなったものだと思われていた。
・翌週の2011年3月11日、東日本大震災発生。

2012年7月20日金曜日

7月のR公会堂

2012年7月21日(土曜) R公会堂
「週末の音楽 vol.5」
出演:
miyakichi(猿股茸美都子) × 久保田健司 (from 震える舌) × 阪本愛子(from 震える舌)、
コハク、
島田温泉

open16:30 start17:00 料金1500円

※ミヤキチさんは猿股茸美都子のフロントウーマンでおなじみの女性シンガーで佇まいも歌もコハクのお姉さん的存在。猿股茸美都子では轟音に近いリズムレスサイケデリックなサウンドを聴かせてくれますがソロアコースティックでは一転して穏やかさと緊張感が同居した歌を披露、今回の目玉です。
そしていつもおなじみの島田温泉とコハク、安定感のある一日です。
余談ですが島田温泉による僕が作曲した動物病院の前、本家を凌いでとても素晴らしいです。

2012年7月8日日曜日

廃藩置県フェスティバルのフライヤー

いよいよ一週間先とせまっております。
予約なしではいれますのでどうぞお気軽に。

2012年7月1日日曜日

第二回廃藩置県フェスティバル開催

第二回廃藩置県フェスティバル

2012年7月14日、7月15日、7月16日(三日間開催)

福島野田 油野美術館
http://yunobi.com/concept.html

7月14日 土曜(集まりて候の巻)
Friendly hearts of japan
fumu fumu
深田ちひろ
タケヤリシュンタ
映糸
いわさきるか

7月15日 日曜(解散無用の巻)

森田雅章トラディシオンカントリーバンド
assam ibrahim
neru
ポーの一族
寺本裕也
冬支度

7月16日 月祝(ローリングストーンズは来なかったの巻)

traditionalspeech
浜谷俊輔
島田温泉
みのようへい(ヘルくらげ)
ルイ・リロイ・田中
瓦町プレイボーイズ

各自共1500円(1drink付)
open 15:00 start 15:30

第二回廃藩置県フェスティバルタイムテーブル(7/16分)

第二回廃藩置県フェスティバル 三日目

福島野田 油野美術館
http://yunobi.com/concept.html
7/16 月曜祝(ローリングストーンズは来なかったの巻)


オープン 15:00
スタート
15:30 traditional speech
16:00 みのようへい
16:40 島田温泉
17:20 ルイ・リロイ・田中
18:00 浜谷俊輔
18:40 瓦町プレイボーイズ